季節の自然との語らいが楽しい庭仕事

晴れの日、曇りの日、雨の日、それぞれに喜びがあり 憂いがある。
「季節の自然との語らいが楽しい庭仕事」
今日もどんな楽しみがあるだろうか。


大きなホルトの木

我が家の門の所には大きな「ホルトの木」がゆったりと枝を広げてわがもの顔でどっしりと立っている。
もう10年選手になるのかナ。
「ホルトの木」に関心を寄せたのは15年位前に沖縄市の
メインストリートで大きな傘を広げたような「ホルトの木」があり、
その下には秋でもないのにオレンジ色の細長い葉っぱが重なるようにして地面いっぱいに落ちていた。
その光景にとても感動した。

ホルトの木

あまり自然とのふれあいがなかった私は、
膝をおとして夢中できれいな色の葉っぱを大事に拾って帰った。
とてもうれしかった。
その落ち葉は店のディスプレイに使ったり、
ガラスの瓶に入れて色を楽しんだりした。

そんな光景がまるで昨日のことのように思い出される。
そんな出会いの「ホルトの木」は我が家を新築する際、
メインにどんな木を植えようかと思案している時、
「ホルトの木」が候補に挙がりすぐに決まった。

時を重ねる毎にみるみる大きくなった「ホルトの木」は、
今では我が家のシンボル的存在だ。
何種類もの鳥の飛び交う場であり、
夏には朝からセミの大合唱が始まる。
夏休みには子供たちがアミをもってセミ取りにやって来る。
枯れ枝を集めてはアート作りを楽しんだりもする。

ホルトの木 小鳥

地域の草刈作業の時は、
ホルトの木陰が涼しい風を運んで来てくれて
自然を満喫させてくれるので、
ティタイムの即席のカフェに早代わりしたりする憩いの場でもある。

問題は別の視点からやってきた。
四六時中、性懲りもなく落ちてくる葉っぱ。
あの時感動した落ち葉が実はずっと悩みの種に変わっている。
容赦なく舞い落ちる「ホルトの木」の落ち葉との
根気勝負が続いている。

早朝の掃き掃除はここ10年来続いていて、
朝の貴重な時間が割かれてしまう。
それでも終わった時の達成感、
100m足らずの路地だけどかなり爽快な気持ちになれる。
一番のメリットは、
ほとんど運動をしない私の健康法がこの掃き掃除の時に解消される。
「ホルトの木」があればこその健康法ともいえる。

感謝すべきことだけれど・・・
雨の日、風の強い日、暴風の後、四方ハ方に舞い散る落ち葉、
それこそ悪戦苦闘を強いられる。
実は我が家の両隣さんにご迷惑をかけないように
絶えず気を配らなければならない。

今、家族の間では枝を切ろうか、
又は別の木と植え替えしようか、
としきりに話題にのぼる。
万一に備えて別の木をそっと育てて、
今、「ホルトの木」の3分のⅠ位の背丈に育っている。
今度の木は落葉しない木を選んであるのはいうまでもない。
これまで朝夕頑張ってきたけれど、
この先の体力を考えた時、このままでいいのかなと悩んでしまう。

自然と溶け込んだこの木を切ると鳥たちはベソをかくだろうし、
あの堂々とした姿がなくなるのはなんとも忍びない。
時間と労力としばらく付き合う方に軍パイが上がりそうな気がする。
いいえきっとそうなるであろう・・・

野の花との語らい

ちっちゃな野の花になぜか心惹かれる。
小さな容器にちょこんと挿してあげると得意げにお空にピンと顔をあげて存在感をアピールしている。

やさしいあなたは「かたつむり」さんが朝露をもらいに来ても
可憐な顔で微笑みかけている。
目立たなくてもいじけないでネ。

あなたにはあなただけの可憐さがあり良さがある。
いつも心していた。
あなたをデビューさせてあげることを。
「蚕さん」が住んでいた繭玉の容器を用意したよ。
きっとあなたに似合うでしょう。

小さなステージだけれどあなたらしく笑って咲いてネ。
自然の中で咲いてる方があなたらしくて生き生きしているけれど
たまには気分を変えて、あなたがステキに輝ける場面を用意してあげる。
私の心をいつも和ませてくれるあなたに、そっと口づけのお礼をさせてくださいネ。

小さなヤシの木

十年以上なると思うけど玄関先で小さな鉢に窮屈そうなヤシの木が
居心地悪そうに居座っている。

何回か成長に合わせて取り換えたけれど、そろそろ又、
一回り大きめの鉢と 取り換えの時期のようです。
ゴメンね気が付かなくて。
あなたに似合う鉢を見つけて来るからそれまで待っててね。

今日はしばらく手入れの出来なかった下葉などの手入れをした。
さっばりしたでしょうね。

一握りの取り去った葉をそのまま捨てるのが忍びなくて生かしてあげることにした。
重ねた葉をくるっと丸めて一つの輪っかにした。
その輪っかを小さな鉢に敷いてあげることにした。

夏の日照りの強いとき直接地熱が伝わるのを防いでくれる。
葉の朽ち果てるまで役目を果たしてくれることでしょう。
その時はお疲れさん、ありがとうの言葉を添えてさよならしよう。

ナスタチュウムが得意顔

ナスタチュウム

先日主人が出かける前に庭の横を通った際,おっ、庭きれいだね。
こんな庭が好きだナーと、喜んで誉めてくれた。
今までなかなか気が付いてくれなかっのに。

ナスタチュウム-2

花たちが、私を見て綺麗に咲いたよ。
こんなに元気だヨ。色こんなにステキだよ。
と気づかせてたのでしょうか。

ナスタチュウムが得意顔でつるをのばし、花を咲かせ、我が物顔で横のフェンスの肩を借り咲き乱れている。

ナスタチュウム-3

風船カズラは
その陰でおとなしく可愛いほっぺたをふくらませたような可憐な姿で
鈴なりにきそいあっている。

風船カズラ

つわぶきの黄色い花が真っ盛り

道路沿いや公園、そして我が家の庭でもつわぶきの黄色い花が株ごとに
きそいあって咲いている。

つわぶきの黄色い花

まあるいはぁと形に似た葉っぱが上にきゅっと伸びた茎と花を引き立たせている。

つわぶきの黄色い花-2

葉っぱを一枚だけカットし、数個にまとまったつわぶきの黄色い花を房ごと切り取りはっぱのくぼんだ所にまとめて、シンプルなガラスのびんにそっと生けて食卓の上へ。

今盛りのつわぶきの黄色い花は場所を変えてリビングのテーブルの上に美しく映えている。

幻のブルーベリーの実は?

カタログでブルーベリーの実のついた鉢植えを注文し育てていた。
ブルーベリーの実が付ていたので一つだけつまんで口にした。
思わずウインクするほど酸っぱかったのを覚えている。

その後鉢が窮屈そうだったので思い切って庭に地植えにした。
庭ではみるみるうちに存在感をアピールしてきた。

剪定も三度ほど行い足元の除草もし、肥料も施した。
でもこんなに大きく育ったのにあの後一度も実はつけてくれない。
たった一度だけの幻のブルーベリーの実だったのかナ・・・

大きな顔で枝を張っているブルーベリーの木はいまだにしら~んぷり。
ほんとにブルーベリーの木だったの?
最近はしきりにそう思う。

もしかして、もしかして私の勘違い?
それでも密かにブルーベリーが実をつける日に期待を寄せている。